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無節操一本勝負

敵か味方か・・・深まる謎

斎藤 一

山口一、山口次郎、一瀬傳八(一戸伝八とも)、藤田五郎

学んだ流派は一刀流、溝口派一刀流、聖徳太子流、津田一伝流、無外流と諸説ある
(新選組入隊以前、試衛館に出入りしていた可能性もあり、天然理心流も学んだ可能性もある)

副長助勤、土方隊属、四番組長、三番隊組長、撃剣師範、槍頭、新選組隊長、豊後口警視徴募隊二番小隊半隊長
この中では新撰組三番隊組長が有名

天保15年(1844) 正月一日
山口祐助の家に次男として江戸で生まれる

19歳の頃旗本を殺害し、京へ逃れたと言う説があるが、詳細は不明
20歳の頃、京都にて壬生浪士組(新撰組)に加盟

伊東甲子太郎の分離に際し近藤の密偵として潜入したと言われているが詳細は不明
その後『 油小路の変』において伊東甲子太郎は粛清される
斎藤一の関与はこれも不明とされている

その後、新撰組復帰
天満屋事件、二条城の警備等を経て戊辰戦争が勃発
戊辰戦争の会津では新撰組隊長として奮戦
後に土方と合流するが、主張の違いから土方と袂を分かち、会津に残った
一時期、ここで戦死したと思われていた

維新後は謹慎を経て警視庁に警部補として就職
警視庁就業中、西南戦争が勃発それに出陣し、二番小隊半隊長として部隊の指揮を行った

警視庁退職後は教育博物館看守、その後さらに女子師範学校書記となる

大正4年(1915)9月28日
胃潰瘍のため、東京は本郷の自宅でその激動の生涯に幕を下ろす
死期を悟り、床の間に端座しながらの最期であったという
享年71歳

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会津若松市七日町にある阿弥陀寺に、斎藤一の墓がある

20050130061924s.jpg
墓石の裏にあった卒塔婆に「斎藤一」の文字が確認できる

20050130061857s.jpg
ところで、墓の手前右側に「名刺受」があったんだが
これはどういう用途で使えと?
  1. 2004/12/21(Tue) 06:15:50|
  2. 歴史、伝説|
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