無節操一本勝負

敵か味方か・・・深まる謎

聖徳太子の肖像

一昔前のお札の肖像画といえば聖徳太子である

この肖像画は、法隆寺に伝えられ、天皇家に献上された「聖徳太子及二王子像」をもとにして描かれたものだが、矛盾点がちらほら見える

まず、手に持っている板状の棒
これは「笏」というモノで、天皇、公卿、役人などの儀服一式の1つで、威儀を正すためのものなのだが、これが用いられるようになったのは、孝徳天皇在位中の大化三年の事で、西暦に直すと647年の事と言われている
聖徳太子が死んだ年は622年だから、このオッサンが持っておるハズがないアイテムなのである

んで、服装だが、肖像の着ている服は「朱華衣(はねず)」といい、帽子が「漆紗冠(しっしゃかん)」という
朱華衣が礼服で、675年以降から登場しており、漆紗冠は朝服で、朱華衣を着ている場合には普通は着けない
(現代でいうと、礼服を着て制服の帽子だけかぶるようなモノだ。
警察官が、スーツに警帽をかぶった姿を想像すれば理解しやすいだろうと思う)

あとは顎髭だが、墨の色や線の流れを見ると、他の場所とはかなり違っており、後世の加筆である事が判明しているそうだ

結局この肖像画の人物は、聖徳太子その人ではなく、聖徳太子の死後、何物かをモデルに描いたものであるというのが真相らしい

*疑惑の聖徳太子像はこちら*
20050206063104s.jpg




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  1. 2001/09/27(Thu) 06:33:27|
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激戦一の谷の戦い

源平の戦いで、平家が摂津の一の谷の、前は海、後ろは鵯越(ひよどりごえ)といわれる断崖という、守りに適した場所に布陣したが、義経が鵯越の断崖を突破し奇襲をかけ、平家をボロクソに叩いたという内容の戦いである

「鹿が崖を越えてるんで、馬にも可能だろう」
という無茶な論理で有名な戦いだが、ちょっとした異説がある

戦いの前日に、後白河上皇の近臣、修理権大夫という者が、使者を平家陣地に送り込み、手紙を届けさせていたという事実が、鎌倉時代の正史である「吾妻鏡」により発覚する

その手紙は
「源平和平交渉のため、上皇の代理でそっちに向かうんで、交渉中は戦闘したらいかんよ。これは源氏側にも伝えてある」
という内容である

まあ、早い話が上からの停戦命令で、平家はこれを信用して、武装を解除しちまったところに、義経が奇襲をかけたってワケだ
結果はモチロン平家惨敗

……というコトは、義経はわざわざ崖を下らなくても、平家に勝利出来たのではないか?
それ以前に、義経でなくても勝てた戦いなのではないか?

まあ、そんな異説でした
  1. 2001/09/26(Wed) 06:25:58|
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源義経 vs 武蔵坊弁慶 五条橋の戦い

五条橋の戦いは、義経と弁慶との出会いの有名なエピソードである

五条橋は、賀茂川と五条通りの交差する場所にある橋だが、実は当時橋自体が架かってなかったので、この戦いはそもそも成立しないのである

まあ、歴史と物語は違うって事ですな
  1. 2001/09/26(Wed) 06:24:26|
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